営業として毎日忙しく働いていました。ところが、ある日突然見えづらくなり、眼科を受診したところ、「糖尿病性網膜症」と診断されました。営業の仕事では、車の運転が必須であり、ほとんど見えなくなってしまい退職を余儀なくされました。
心配した友人が、視力障害センターを紹介してくれました。
気は進みませんでしたがすることがなかったため、視力障害センターの自立訓練を受けることにしました。そこでは、洗濯や掃除など基本的なことから、白杖を使用した歩行訓練や音声を使用したパソコン訓練。視覚障害者用の様々な道具の訓練など様々な訓練を受けました。どれも、驚きの連続でした。
自立訓練を受けた後、引き続き就労移行支援のサービスを受けることにしました。ここでは、あん摩マッサージなどの勉強をし、卒業と同時にあん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師の国家試験の受験資格がもらえます。免許が取れれば、仕事をすることができます。
慣れない勉強で大変でしたが、仲間と一緒に悩み励まし合い、なんとか卒業し、免許を取得することができました。
今では、治療院を開業し、親子4人で、楽しく生活しています。
高校生の時に「網膜色素変性症」と診断されていましたが、特に問題なく主婦業を行っていました。 ところが、徐々に視野が狭くなり、視力低下も進んで、今まで出来ていた家事が難しくなりました。主人や子どもは、進んでお手伝いをしてくれましたが、一方で申し訳なさとふがいなさでいっぱいになっていました。
そんなある日、どうしたらいいだろうと訪れた市の福祉課で視力障害センターを紹介されました。「自分にもやれることはあるのでは」と、心配する家族を説得し、視力障害センターの自立訓練を受けることを決めました。
自立訓練では、見えなくても安全に調理するための訓練や点字訓練、パソコン訓練を受けました。 今は、触って分かりづらいレトルト食品やシャンプーなどのストックの品に点字シールを付けて分かるようにしています。
料理もちゃんとガスコンロを使ってしています。得意料理は、ホワイトシチューです。ハンバーグは時々焦げることもありますが(笑)家族は、美味しいと言って食べてくれます。 楽しみは、片付け終わったあとにパソコンで、大好きなあの方のブログを読むことでしょうか。あ、毎日の星占いの確認も必須ですね。
「緑内障」で見えにくくなっていました。視力障害センターで自立訓練を行っていることは知っていましたが、見えにくいため、自分で視力障害センターまで行くのは不安です。家族は日中仕事で送迎してもらえません。
「やる気はあるのに…」と思い、視力障害センターに電話したところ、視力障害センターの方が相談に自宅まで来てくれました。
視力障害センターの近隣であれば、自宅で訓練をしてくれるそうです。
センターの職員は、分かりにくかった電子レンジや炊飯器のボタンに大きなぶっくりとしたシールを貼って、使いやすくしてくれました。
また、音声図書の紹介を受け、音声図書を聴くための器械の使い方を教えてもらいました。見えにくくなり、諦めていた読書が再び趣味になりました。
私は、眼科の先生からの紹介で、函館視力障害センターの存在を初めて知りました。
函館は、私が生まれ育った町で、大好きな故郷です。47歳となった自分が、再出発の原点として、またこの函館の地にお世話になるということも、何かの縁なのでしょう。
たくさんの不安はありましたが、自分に出来る可能性を求めて私は平成23年4月より函館視力障害センターを利用する事を決意し、3ヵ月間の自立訓練を希望しました。
訓練は、大きく分けると4つあります。
1つ目は、自分の事が、少しでも出来るようになるための日常生活訓練。
2つ目は、1人でも簡単な料理が出来るようになるための調理訓練。
3つ目は、職場復帰するために必要なパソコン訓練。
4つ目は、1人でも、どこでも歩けるようになるための歩行訓練です。
毎日の訓練はとても大変ですが、少しずつ出来るようになる喜びのほうが大きいのも確かです。もう出来ないと思って諦めていたことが、様々なやり方を覚えれば可能になることも知りました。
センター内には、自分と同じく何らかの原因で目に障害を持った人達がたくさんいます。
これまで誰にも言えなかった事や悩みを話す事ができ、訓練とは別に精神的にも大きな財産を得る事が出来ました。
私は、7月から職場復帰する事としています。
今後もまだまだたくさんの壁にぶつかると思いますが、何事にも負けずチャレンジしていきながら色々な可能性を求めて一歩づつ前に進んでいきます。
センターで訓練を受けてから杖さばきが見事になったと言われるようになりました。ブロックを確認する、渡った後は必ずその先に何があるか確認してから歩き出すなど、どこに注意したらいいかポイントが分かるようになりました。
なぜ函館で訓練を受けたの?とよく言われますが、知っている所だとやっぱり適当に歩いてしまうんです。未知の世界で基本からやって、未知の地図を自分で描く訓練っていうのは凄くいいと思います。そういう訓練は僕は別世界でやったほうがいいと思っています。
また、行ったのが夏でしたから、北海道は涼しくて楽しくて最高でした。センターの寮は温泉だし、また夏に行こうかなと思うことがあります(笑)。
体育館にトレーニングにも通うようになりました。この辺は4差路、5差路の道があって、さらに道が狭いから結構危ない所があるんです。歩道も1mくらいしかなく、ちょっと間違えると車道に落ちてしまう。でもそのあたりが杖のさばきで軽く出来るようになりました。歩行訓練を受けてからは怪我とか落ちたとかはないですね。
また、トレーニングに行っても基本的には1人でやってるんです。機械の調整も自分でやりますし、その意味では、自立する気持ちも身につきました。
これはセンターでひとりで生活した経験が良かったんだと思います。これまで何もやらなかったのがお風呂、洗濯、掃除、食器洗いなど全部自分でやりましたから。だから帰ってきてから洗濯物を干したり、結構やってるんです。やり方が違うって奥さんに怒られますけど(笑)
最近は、見えないから出来ないじゃなくて、見えないけど出来る。そんな風に思うんです。
それは何かと言うと、自分で出来ることは自分でやる。自分で出来ることをゆっくりでいいからマスターしていくということ。そういう精神がないと障害者もだめなんじゃないかと思います。奥さんも僕が1人で出かけられるようになったから楽でいいって言ってるんです(笑)。
でも、そういうものなんですよね。僕が何も出来なかったらずっと一緒に居なきゃいけないから自分の時間が取れないわけです。僕が少なくとも3分の1は自分でやれば、その時間を彼女は有効に使える。だからギブアンドテイクというか、相手も一生懸命やってくれてるから、自分も一生懸命やんなきゃっていうのは忘れないようにしないといけないと思います。
センターのみなさんには色々とお世話になりました。ありがとう。
私は、普通に大学を出て普通に専門学校に入り、そして普通にではなくバイクで事故をおこし、片目の視力を失いました。
今はこんな具合に言えますが、当時はかなり参っていました。そんな中、実家に帰省した際、自分を心配していた父母に当センターのことを聞きました。その後、地元の福祉課の方や、指導課の方々に色々お聞きして、「これだ!」と思い入所を決めました。
入所して現在思うことは、勉学においても、生活する寮においても充実した設備に感謝しております。
唯一不安があるとすれば、目に障害のある自分が生活しやすいこの環境、つまり、実社会から離れた所にいる3年間に多少の不安があるということです。
入学してから数ヶ月、自分なりに充実した毎日を過ごしています。これからどんな事が待っているかわかりませんが、国家資格取得のため、社会に必要とされる人になるため、私を支え応援してくれる家族のために努力したいと思います。
何より、今のこの気持ちを忘れないでいたい。それだけです。