〔特集〕 |
ゴールボール女子日本代表 萩原紀佳選手インタビュー 企画・情報部企画課(広報担当) |
57年ぶりに東京で開催されたオリンピック・パラリンピック(7月23日〜8月8日、8月24日〜9月5日)。厳格な新型コロナウイルス感染防止対策の下、異例の原則無観客での開催となりましたが、多くの方がTV観戦し、熱い声援を送られたことと思います。
今回のパラリンピックでは、卒業生・修了生を始め、国リハにゆかりのある選手も多く出場し活躍しました。今回は、その中でもゴールボール女子日本代表で見事銅メダルを獲得した萩原紀佳選手にスポットを当て、インタビュー取材をさせていただきましたのでご紹介します。
萩原選手は、現在、国リハ理療教育専門課程の3年生。忙しい授業の合間を縫ってインタビューに応じてくれました。
《 プロフィール 》
萩原紀佳(はぎわら のりか)
生年月日2001/3/3
出身地 埼玉県川口市
「網膜芽細胞腫」が原因で視覚に障害がある。
高校1年生の終わりにゴールボールを始める。東京2020パラリンピックでは日本代表として、チーム最多の25得点(得点ランキング2位)を上げる活躍で、銅メダル獲得に大きく貢献した。
―パラリンピックを終えて今のお気持ちは?
メダル獲得を目指していた中で、銅メダルを獲得できたというところはすごくうれしいです。でも、決勝戦をアスリート席で見ていたときに、やはりこの舞台に立ちたかったなという思いがありました。今はまた次に向けて頑張っていきたいという気持ちです。
―7試合でチーム全33得点中25得点を上げる大活躍でした。
オフェンス型の選手として今回選出していただいて、得点を取ることが私の役割と思っていたので、その面でチームの勝ちに貢献できたのはすごくうれしいです。
―ディフェンス面でもファインプレーがありましたね。
ディフェンスはもともと苦手で、課題ではあったんですけれど、一定のディフェンス力が発揮できたのがよかったなと思います。
―試合を観ていて頼もしく感じました。
初戦のトルコ戦では、ペナルティスローによる1点しか取れませんでしたが、準決勝の同じトルコ戦では流れの中で3点取ることができ、大会を通じて、徐々に自分のボールに自信を持てるようになりました。戦っていて楽しかったです。
―銅メダルが決まった瞬間のお気持ちは?
十分な点差はついてはいたのですけれど、試合が終わるまでは、すごく落ち着かなくて(笑)。レフェリーのゲーム終了というのが聞こえた瞬間に『あっ、本当にこの舞台に立てたんだな』と思いました。昨年開催されていたら私はここにいなかったですし、こみ上げてくるものがありました。
―ご家族やまわりの方々の反応は?
家族はすごく応援してくれていて、横断幕とかタオルとかも作ってくれて。観客が入れれば、持っていく予定だったんですけれど、自宅の壁に張って応援してくれました。親戚一同大騒ぎでした(笑)。ほかにもたくさんの方々から応援メッセージや花束などをいただいてうれしかったです。
―ゴールボールを始めたきっかけは?
中学まではスポーツをしていなかったのですが、高校に入ってクラスメイトにゴールボール男子の日本代表選手がいて、その子に『初心者大会があるんだけどやってみない』と誘ってもらったのがきっかけです。すぐに『楽しい、やってみなきゃ』とドはまりすることはなかったんですけれど、初心者大会に向けて優勝したいという気持ちがあって、大会が終わったら次の目標ができて、続けてきて、今に至っています。誘ってくれたその友達に感謝しています。その友達が日本代表として活躍している姿を見て、私もやってみたいと思いました。
―ちなみにその初心者大会はどんな成績だったのですか?
優勝しました(笑)。先輩たちのおかげだと思いますけど。
―そういう流れもあったんですね。だんだんはまっていくといいますか…。
高校の時から国リハの練習に参加させていただいていて、ゴールボールの関係の方々がまわりにいて、人間関係に恵まれたので、今ここに来られたのかなと思います。
―初めてゴールボールをした時の感想は?
最初、デモゲームをしてくれたんですけれど、すごいな、私ができるのかなと思いました。あんな速い球止められないし痛そうだなと思って。ちょっとずつ始めたんですけれど、練習していく中でできることが増えていって、これもやってみたいとか、どうしたらもっと得点が入るかなどを追及したいと思うようになりました。
―幼いころはどのようなお子さんでしたか。
幼いころは人に流される子でした(笑)。あまり自分の意見を伝えられなくて。みんながこう言うならやってみようとか、みんながしないならしないとか、自分の意見は言わないタイプでした。
―ちょっと控えめな、後ろの方にいる子みたいな感じだったんですね。
そうですね(笑)。そのあとスポーツを始めて、戦術のこととか、こっちのほうが勝てると思いますとか、そういう自分の意見を少しずつ言えるようになりました。
―試合中はコーチなどから指示は出せないルールと伺いましたが、投げるコースはどうやって決めているのでしょうか。
試合が始まる前に戦術として、こっちに集めてからこっちというのを決めていて、その中で途中やっぱり試合は動くので、相手の状況などは試合が止まっているときにベンチから指示が出ます。後はタイムアウトのときにここのコースを多く投げてとか、そういう指示もあります。
―シュートする選手以外の選手が足音でフェイントをかける作戦がありますが、何か決めのようなものがあるのか、それともそれぞれ独自の判断でやっているのですか。
フェイクに関しては、ずっと合宿で練習してきました。音のスポーツなので投げる選手がテイクバック(後ろにボールを引く)のときに誰かが違う音を出しているとペナルティを取られてしまうんです。そのルールの中で相手を欺くといいますか、そのコンビネーションというのはすごく練習してきました。
―なるほど。タイミングがちょっとズレてしまうだけでもペナルティになってしまうんですね。うまく決まるときは実にあざやかですよね。
そうですね。フェイクで決まるときはすごくうれしいです。
―萩原選手の速い正確なシュート技術はどのように磨かれたのですか?
実は、高校のときにゴールボールではない部活もやっていて、放課後はその違う球技の部活の練習をしていました。ゴールボールの練習時間が短い中で、限られた時間の中でどうやってやるかを考え、朝の授業が始まる前とかに、ひたすら壁に投げるとか投げ込みをずっとしていました。
―ちなみにその違う部活とは何をされていたんですか。
フロアバレーボールです。
―あぁ。そうなんですか。
全国大会2連覇したんですよ(笑)。
―そうなんですか。すごい。初耳です。すみません。存じ上げていなくて。
いえいえ(笑)。
―守備の時、どこにどのようなボールが飛んでくるという判断はどのように行っているのでしょうか。ある程度読みのようなものもあるのですか。
読みをすると逆を突かれて失点につながるリスクが高まってしまうので、音を聞いて動くというのが基本なんですけれど、その中でも遠くの音を聞いてしまうと、左利きと右利きで音の聞こえ方も全然違ってくるので、近い音を聞く、ギリギリまで引き付けてから跳ぶということになります。
―そうしますと、より瞬発力が必要になりますね。わかっていても追いつけないということも。
そうなんです。海外選手の速い球は、女子でも50km/hで飛んできます。
―すごい速さですね。素人にはまず取れない。こっちかなと思ってもギリギリまで粘ってから跳ぶんですね。
手に集められているとそっちを意識してしまって足の方を狙われるというのが失点のパターンなので、フラットで待ってというのが基本になります。
―試合前のルーティンは?
会場に行くまではイヤホンで音楽を聴いています。入場待ちのときが一番緊張するので、チームメイトとあえてしゃべったり、背中をたたいてもらたりとか。『一発お願いします』という感じで、気合を入れてもらっています(笑)。それから、この(ユニフォームの)日の丸に手を当てるのはずっとやっています。代表に選ばれたからには責任を持ってという気持ちで。
終始笑顔でインタビューに応じてくださった萩原選手。言葉や振る舞いから、非常に謙虚で気さくで、とても素敵な方だなと感じました。
国リハでゴールボールを指導してきた江黒コーチは「このパラリンピック大会を通じて大きく成長した」と言います。アスリートとしてもひとりの人間としても大きく成長されたのではないでしょうか。今後のますますのご活躍が楽しみです。萩原選手ありがとうございました。