〔震災レポート〕
東日本大震災災害派遣報告
秩父学園 指導課 松上耕祐


 この度の東日本大震災におきまして、被害に遭われました皆様に心よりお見舞い申し上げるとともに、犠牲になられた方々と、ご遺族の皆様に対しまして、深くお悔やみ申し上げます。
 去る5月24日より5月31日までの8日間、東日本大震災の原発事故の影響で4月より福島から千葉に避難している知的障害者の支援のため、千葉県鴨川市に行って参りました。秩父学園から災害派遣に行かせていただくのは、私で第3陣でした。皆さんが避難されている場所は「鴨川青年の家」です。青年の家は、普段、学校の宿泊訓練などの研修を目的として使用されている施設です。
 青年の家には福島県福祉事業協会から、障害者支援施設、知的障害児施設、グループホームなど計9ヶ所の事業所から279名の利用者さんが避難していました。福島から千葉への避難は急遽決まったようで、約3分の1の職員が退職したそうです。それにより法人内で多数の職員が急遽異動せざるを得なくなり(児童部から成人部など)、組織としての機能が低下し、災害派遣の職員の力が必要な状態でした。
 秩父学園の他には千葉県、東京都社会福祉事業団、国立のぞみの園などから援助員だけでは無くPT、看護師など様々な職種の方々が派遣されていました。その数は総勢20名程度で、各施設にそれぞれ5名程度配属されており、皆さんの士気はとても高いものでした。
 私達災害派遣職員の勤務時間は6時30分から18時30分で、仕事は主に掃除、洗濯、入浴介助、歯磨き介助、利用者さんと余暇時間に一緒に過ごすことなどでした。私が配属されたのは、あぶくま更生園という知的障害者支援施設で、45名(男性28名・女性17名)の利用者さんがいらっしゃいました。ここに避難してきている事業所の中では一番障害の重い利用者さんが多く、身体障害を持つ利用者さんも数名いらっしゃいました。同じフロアには別の事業所も入っており、総勢100名以上の利用者さんがいらしたので廊下やデイルームなどに人が溢れている状況でした。週間で散歩や機能訓練など、日中活動の計画が組まれてはいましたが、なかなか計画通りに実行することは難しい状況であったので、日中利用者さんたちは何もすることが無く漫然と座ったりするなどしている姿が多く見られました。
 そのような生活なので、当然利用者さん同士のトラブルも多発している状態でした。狭いスペースにたくさんの人がいることに加え、あぶくま更生園では入浴が週に2回しかできない状態であったので、悪臭がしており、以前は感染症も広まったとのことです。またスペースの狭さゆえに、利用者さんが移動する際には転倒など怪我の危険性が常にある状態でした。
 建物の構造の点で、青年の家は健常者用に造られており、エレベーターは無く、階段に手すりも無い状態でした。あぶくま更生園は3階で生活しており、食堂は2階、風呂は1階と、それぞれ違う階にあるため、食事や入浴の度に階段で移動しなくてはならず、利用者さんや職員はとても不自由な思いをされていました。歩けなくて車椅子を普段利用されている利用者さんは、入浴の際に職員が背負って移動しなければならず、それにより腰を痛められている方もいらっしゃいました。
 そのような過酷な状況の中でも、利用者さんは元気に明るく生活されており、私達災害派遣職員に「ご飯は食べた?」「休憩しておいで」「お疲れ様」など、優しく声をかけて下さる利用者さんもいて、逆に元気づけられることが多かったです。最終日には動物などを模した手作りの人形を派遣職員1人1人に下さる利用者さんもおり、本当に感激しました。職員もいつまでここでの生活が続くか分からないという先の見えない不安の中で、一生懸命業務されていました。そんな中、数日の休みを取って福島に帰ることができる職員が増えてきたり、勤務中少し休憩が取れるようになってきたという話を伺って、災害派遣職員が力になれているのかも知れないと感じ、ホッとすることもありました。
 青年の家には10月まで避難されるということですが、過酷な生活環境でも精一杯生活している利用者さんや、その利用者さんを支える職員のことを考えると、非常に難しい状況ではありますが、できるだけ地元に近い場所で、震災が起こる前のようにのびのびと安心した生活が一刻も早くできるようになることを強く願うばかりです。

生活の様子
写真 食事介助が必要な利用者の昼食時の食事場所
 
写真 食事介助が必要な利用者の朝・夕食時の食事場所
 
写真 利用者の居室。6人部屋
食事介助が必要な利用者の
昼食時の食事場所
 
食事介助が必要な利用者の
朝・夕食時の食事場所
 
利用者の居室。6人部屋