〔国際協力情報〕
JICA補装具製作技術研修コース研修員紹介
 


 毎年、当センターで実施しているJICAの補装具製作技術研修を今年も9月17日から12月2日の予定で開始いたしました。本研修は5年ごとに見直しを行うのですが、本年度がその期間の最終年度となっており、これまでの集大成の年でもあります。今回は3ヶ国3人が研修に参加しています。
 研修員は本研修で学んだ技術、知識を帰国後に自国の義肢装具製作技術者や関係者に伝達することが任務であり、毎日、熱心に義足の製作研修を行っています。以下は3名の研修員の自己紹介です。


Nicolas Rojas Vasquez  ニコラス・ロハス・バスケス(コロンビア)

 私はニコラスです。初めに母国コロンビアについて簡単に紹介します。
 コロンビアの首都ボゴタは国の中央に位置しており、山脈に接しています。国は4つの地域に分かれ、中央山脈地、カリブ海岸低地、太平洋低地と東部コロンビアです。2009年7月時点での人口は約4千367万人です。コロンビアは、人、文化、農業で知られていますが、近年は最高のコーヒー生産地としても有名です。一方で、コロンビアは対人地雷による深刻な被害を受ける人々に加えて、糖尿病などの疾病、交通事故やその他の原因により手や足を失う人々が増えています。このような人々は社会や仕事に戻るために義肢を必要としています。
 私の家族を紹介します。父はボゴタで政府の農業エンジニアとして働いています。母は日本企業の富士通の工場で27年以上も働いていました。
 兄は多国籍企業で石油関係のエンジニアとして働いています。
 さて、私が義肢の世界に触れたきったかけは親戚の外科医の影響でした。
 私はエルサルバドルにあるドン・ボスコ大学で義肢装具製作技術の学位をとりました。その間に1年間、シカゴのイリノイ他で脊椎と下肢に関する実務研修を受けてコロンビアに帰国し義肢装具製作の仕事に就きました。この後にアメリカのテキサスで2年間勤務しましたが、そこには障害があるラテンアメリカの人々が多数おり、母国語であるスペイン語でのコミュニケーションが重要でした。現在はボゴタの民間の義肢装具会社で働いています。
 今回、JICAの研修コースに参加することで、コロンビアでの義肢装具の製作に必要な技術と原材料に関する知識を広げることができると思います。
 リハビリテーションに関わる全ての人々は障害がある人たちを支えるために毎日努力をしていると思います。この紙面を借りて、今回日本で研修する機会を与えてくれたJICAと国立リハセンターに感謝の意を表したいと思います。
 皆さんが美しい国コロンビアに来て下さることを歓迎いたします。

(写真)南米・コロンビアの位置図   (写真)ニコラス・ロハス・バスケス氏



Collin Ivor Charles コリン・アイボー・チャールズ(ガイアナ)

 こんにちわ。私はコリンです。南アメリカ大陸の北東部に位置するガイアナから来ました。私の母国と私自身を皆さんに紹介することができて嬉しく思います。
 ガイアナはイギリスの統治国であったため、英語を母国語としています。1966年5月26日にイギリスから独立しました。国旗は黄金の矢尻と呼ばれています。人口は約75万人で、人種はアフリカ系、東インド系、中国系、アメリカ原住民系、ヨーロッパ系、混合系の6つに分けられます。主な特産物は、米、砂糖、金です。ガイアナは95%が平原で海面より低い位置にあり、5つの町と3つの州があります。首都はジョージタウンで行政事務所が集中しています。ガイアナでは1970年2月23日に共和国になったのを記念して、マシュラマニデーと呼ばれる祝賀のお祭りを行います。企業や施設などから人々がパレードを行い競います。
 ガイアナでは1000人から1200人が障害がある人々で、その人数は年々増加しています。主に糖尿病や脳血管の障害によるものです。政府は障害がある人々の全てに資金支援を行っています。義肢装具の製作所は1ヶ所だけで、義肢装具製作の教育機関はありません。
 私自身の紹介をしましょう。年齢は38歳で、妻と娘が2人います。
 私は大家族の出身で兄弟は9人います。現在は保健省が設立した国で唯一の義肢装具製作所で義肢装具を作っています。好きな食べ物は、炊いたご飯、豆、ココナッツミルク、牛肉や鶏肉を調理したものです。
 趣味はクリケット、サッカー、ボクシングなどの運動と読書、音楽鑑賞です。
 今回の研修では、国立リハセンターで使われている義肢の製作で私の国と違う技術を学び、義肢装具の質を高め、同僚にも伝達したいと考えています。

(写真)南米・ガイアナの位置図   (写真)コリン・アイボー・チャールズ氏



Phyu Ko ピューコ (ミャンマー)

 私はミャンマーから来たピューコと申します。現在48歳です。私はマンダレー州のタウンジーという町に住んでいて高校まで通いました。
 私は1982年から1年間、WHOの支援で行われたミャンマー国立リハビリテーション病院での研修を受けました。30年近いキャリアがあり、部門のリーダーとして働いています。また国際赤十字(ICRC)の協力で実施されたミャンマー国立リハビリテーション病院での下腿と大腿の研修コースにも参加しました。
 私はマンダレー大学で史学を勉強しました。家族は妻と娘が一人います。妻も同じ大学の出身で高校の教師として働いています。娘は大学で経済学を学び、現在はマンダレー市開発委員会で事務の仕事をしています。
 趣味は、読書、サッカー観戦ウォーキングです。
 研修で一生懸命学びたいと思っています。
 

(写真)東南アジア・ミャンマーの位置図   (写真)ピュー・コ氏